「今この場所が辛いとしても、それを全てと思わないで」異国の地で得た、日本とは180度違う評価

ライター:林真紀
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成人になってからADHDと診断された私。小学校では「自分勝手」と評され、大学では「言葉のナイフ」「毒舌」と言われ、生きることそのものに自信をなくしていました。そんな私ですが、一年間のアメリカ滞在中、少しも生きづらさを感じなかったのです。それはなぜなのか。ある講演会でその答えを見つけることができました。

思いついた。アメリカに行こう。

成人になってからADHDと診断された私は、言葉で語りつくせないほどの生きづらさを抱えて日々を過ごしてきました。中でも生きづらさのピークだったのが大学生時代です。厳しい受験勉強を乗り越えて、やっと掴んだ自由な生活だと思ったのに、その自由に翻弄されることになりました。

私が通っていた大学では、「変わっている」ということが許されないという暗黙の了解をひしひしと感じる日々でした。そこで私の特性(周囲の話を聞かずに喋ってしまう、思ったことをそのまま口に出してしまう等)は周囲から嫌われる原因となり、いつしか「マシンガントーク」「毒舌」「言葉のナイフ」といったあだ名をつけられ、人間関係が良好とは言い難い日々が続きます。
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うまくいかない会話に出口が見えた!「言葉のナイフ」とまで言われた私を変えた「行動指針」

当時の私は、大学を中退したいと思うほどに追いつめられていました。けれども、中退して何をするのか、別の大学を受験し直したとしても、またうまくいかないに違いない…と、鬱々とすることになります。

そして考え抜いた私は、一旦学生生活の仕切り直しをする決意をしました。アメリカの大学に、1年間留学することに決めたのです。

異国の地で周りにかけられた言葉は…

私のアメリカ留学生活は、大学寮でスタートしました。大学寮では2人部屋になり、ルームメートと寝食をともにすることになります。

今まで一人部屋で自由気ままに生活してきた私にとって、ルームメートが常にいる生活はなかなか大変でした。四六時中一緒に生活していると、当然お互いに不満や要求も出てきます。

ルームメートは遠慮なく不満や要求を私に言ってきましたが、私はグッと我慢して言わないようにしていました。日本の大学で「言葉のナイフ」というあだ名をつけられ、散々嫌われた思い出がどうしても引っかかっていたのです。

しかし、ある日、どうしても我慢ができないことがあり、「前から思ってたんだけど…」とおそるおそるルームメートに話をしました。そのときのルームメートの言葉が忘れられません。

"I can't read your mind!!" (私、あなたの心は読めないわよ!)

そのとき、初めてルームメートと深く話をしました。そして、彼女が言ったのです。

「言わないで分かってもらおうとするのは、日本の文化なのかもしれない。でも私は、口に出して言ってもらわないと、何も分からない。約束してね、ここにいる間は、心にためないで、全部話して。さっきも言ったけど、私はあなたの心は読めないから。」

このときの私の衝撃たるや凄まじいものがありました。それまで「思ったことを言い過ぎる」と注意され続けて嫌われてきたのに、ルームメートは私に「思ったことは全部話して」と言うではありませんか。

このときの彼女の言葉。"I can't read your mind!!"は、今でも私の中で鮮明に記憶しています。

日本では散々だった私が、「社交性がある人」と言われて

自分のマイナスの特性が、ここではプラスに評価される!?私はしばらく混乱しました。世界がまるであべこべになってしまったのです。「だからダメなんだ」と日本の大学でダメ出しをされ続けてきたことが、アメリカでは「そういうあなたが好きよ」と言われることが多かったのです。

その後も、同じ授業を履修していたクラスメイトに、こんなことを言われました。

「あなたは表情が豊かでとても可愛い。」

これも私には衝撃でした。小学校の頃から、私は「感情がすぐに顔に出るから良くない」と周囲から注意され続けてきたのです。けれども、自分を客観的に見る力に欠けていた私は、「感情が顔に出る」という状態が良く分かりませんでした。

心の底から、どうやったら感情を隠すことができるかも分かりませんでした。他人からそう言われるのが嫌で、作り笑いをするようになり、怒っているときに限ってゲラゲラ笑っていたりしたものです。けれども、クラスメートはそんな私に、「表情が豊か」という言葉をくれたのでした。

今まで忌み嫌われ、治せ治せと言われてきた特性が褒められる滑稽さ。常にカルチャーショックを受ける続ける日々が続きました。

そして、ある授業で、教授が私についてこう話したのです。

「彼女は、"sociable"の代表みたいな人だからね」

クラスメートたちも、うんうん、と頷いて笑っています。

"sociable" とは「社交的な」という意味があります。そうです。 「マシンガントーク」で「毒舌」で「言葉のナイフ」と言われて嫌われ続けた私は、「社交的な人の代表」とまで言われるまでになりました。

そして帰国までの1年間、私は素晴らしい仲間と先生たちに囲まれて留学生活をおくることができたのです。

世界は広い。
日本のあの大学の小さな仲間内の評価が全てではない。


日本に帰国する飛行機の中で、ただそんなことを考えていました。
次ページ「そして、母になった今。」

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