こんにちは!保育士のたくまです。最近、自閉症のお子さまを育てている保護者の方から、こんな相談を受けました。
「これってこだわりですか?それとも、わがままですか?」
こちらのお子さま、日常生活をおくる上で様々なこだわり(わがまま?)があって。例えば、いつも同じ道じゃないと怒る、同じ服しか着ない、順番が変わるとパニックになったり、ゲームをやめるよう伝えると激怒⋯その度にご家族の方は疲弊してしまっているようです。
子どものこだわり(わがまま?)に直面した時、ましてや要求が通らなかった時に癇癪を起こされたら⋯ふと頭の中では、きっとこう考えてしまいます。
「この子の特性だから受け入れるべき?」「ただのわがまままだから毅然とした態度で拒否すべき?」
受け入れてしまえば親子ともに嫌な思いをしなくていいし、癇癪もすぐに収まるのかもしれない。こだわりはこの子の特性だから仕方ない。
親だから分かってあげたい気持ちもあるけど、果たしてそれは我が子の将来にとって最善なのか⋯わがままだとしたら、その対応は将来この子が困るだけじゃないのか⋯。
保護者さまからすれば、これってとても悩みどころで、非常に判断に迷うんじゃないかと思うんです。
今日はこの「こだわり」と「わがまま」の違いについて、深掘りできたらいいなと思います。少しでもこうしたお子さまへの対応や捉え方の参考になれば幸いです。
さて実はこの2つ、私の中でそもそも出発点が違うと思っていて。ざっくり言うと、自閉症のお子さまにとって、こだわりは不安や混乱を防ぐための「安心装置」、そしてわがままは自分の要求を通そうとする「意思表示」という位置づけです。
つまり、目的が違っていて。自閉症の子は、私たちが思っている以上に、予測できないことや急な変化、感覚刺激に強いストレスを感じています。つまり自閉症の「こだわり」は心を守る仕組みと言っても過言ではない。
だからこそ、いつもと同じ順番や同じ場所、同じ物を求めるんですね。言わば心の「手すり」のようなものと捉えると分かりやすいかもしれません。
手すりがあると階段を安心して降りられます。自閉症の子にとっての「こだわり」は生活を安全にするための手すりで。あるのとないのとでは安心感が違ってくるんですね。
では、「こだわり」と「わがまま」との見分け方って、なんでしょう?
私はその見分け方のひとつとして、「わがまま」は、「本人に得があるか」どうかだと思っていて。
「わがまま」はその要求が通ったことで自分に利益がある。例えば、お菓子が食べられる、ゲームができる、好きなおもちゃを買ってもらえる、などなど。
その要求が通らない時、思い通りにならない苛立ちが「わがまま」なのかなと。単なる「自己主張」も一見、正しいように見えても、思い通りにならない苛立ちになると途端に「わがまま」に昇格してしまう。「わがまま」と「自己主張」はまさに表裏一体なんですよね。
話を戻して、「こだわり」について。「こだわり」は本人にとって目に見える得がなくても予想外の変化で気持ちが崩れるので、そういうところをみて総合的に判断します。
とは言っても「わがまま」=「悪」にしてしまったら、ほとんどの子どもはみんな悪ってことになる😅
子どもにとって「わがまま」って普通じゃありません?自分の気持ちを素直に出せている証拠で、至って健全だと私は思っていて。
発達の過程では、要求や自己主張、交渉はとても大切な力だと思います。だから全部を「特性」として受け入える必要もないし、全部を「わがまま」として叱る必要もないのかなと。
私たちが支援の現場でよくやるのは「こだわりは安心を作ってから広げる」という方法です。
例えばいきなり「今日は違う道で帰るよ!」ではなく
「今日は工事で通れないから、こっちの道にするね」と
理由+予告を伝える。すると多くの子どもは意外と受け入れられたりするんですよね。
自閉症の子どもの「こだわり」は困った行動に見えることもありますが、実はその子なりの世界の整え方だったりするんですよね。
そしてときどき混ざる「わがまま」はその子がちゃんと成長している証拠でもある。単なる「わがまま」かもしれませんが、それはそれで健全なる自己主張と捉えたら、愛おしいじゃありませんか。
だから今日も少し肩の力を抜いて子どもを観察してみてください!きっと「あ、そういうことか」と思える瞬間が出てきますよ〜😄
「これってこだわりですか?それとも、わがままですか?」
こちらのお子さま、日常生活をおくる上で様々なこだわり(わがまま?)があって。例えば、いつも同じ道じゃないと怒る、同じ服しか着ない、順番が変わるとパニックになったり、ゲームをやめるよう伝えると激怒⋯その度にご家族の方は疲弊してしまっているようです。
子どものこだわり(わがまま?)に直面した時、ましてや要求が通らなかった時に癇癪を起こされたら⋯ふと頭の中では、きっとこう考えてしまいます。
「この子の特性だから受け入れるべき?」「ただのわがまままだから毅然とした態度で拒否すべき?」
受け入れてしまえば親子ともに嫌な思いをしなくていいし、癇癪もすぐに収まるのかもしれない。こだわりはこの子の特性だから仕方ない。
親だから分かってあげたい気持ちもあるけど、果たしてそれは我が子の将来にとって最善なのか⋯わがままだとしたら、その対応は将来この子が困るだけじゃないのか⋯。
保護者さまからすれば、これってとても悩みどころで、非常に判断に迷うんじゃないかと思うんです。
今日はこの「こだわり」と「わがまま」の違いについて、深掘りできたらいいなと思います。少しでもこうしたお子さまへの対応や捉え方の参考になれば幸いです。
さて実はこの2つ、私の中でそもそも出発点が違うと思っていて。ざっくり言うと、自閉症のお子さまにとって、こだわりは不安や混乱を防ぐための「安心装置」、そしてわがままは自分の要求を通そうとする「意思表示」という位置づけです。
つまり、目的が違っていて。自閉症の子は、私たちが思っている以上に、予測できないことや急な変化、感覚刺激に強いストレスを感じています。つまり自閉症の「こだわり」は心を守る仕組みと言っても過言ではない。
だからこそ、いつもと同じ順番や同じ場所、同じ物を求めるんですね。言わば心の「手すり」のようなものと捉えると分かりやすいかもしれません。
手すりがあると階段を安心して降りられます。自閉症の子にとっての「こだわり」は生活を安全にするための手すりで。あるのとないのとでは安心感が違ってくるんですね。
では、「こだわり」と「わがまま」との見分け方って、なんでしょう?
私はその見分け方のひとつとして、「わがまま」は、「本人に得があるか」どうかだと思っていて。
「わがまま」はその要求が通ったことで自分に利益がある。例えば、お菓子が食べられる、ゲームができる、好きなおもちゃを買ってもらえる、などなど。
その要求が通らない時、思い通りにならない苛立ちが「わがまま」なのかなと。単なる「自己主張」も一見、正しいように見えても、思い通りにならない苛立ちになると途端に「わがまま」に昇格してしまう。「わがまま」と「自己主張」はまさに表裏一体なんですよね。
話を戻して、「こだわり」について。「こだわり」は本人にとって目に見える得がなくても予想外の変化で気持ちが崩れるので、そういうところをみて総合的に判断します。
とは言っても「わがまま」=「悪」にしてしまったら、ほとんどの子どもはみんな悪ってことになる😅
子どもにとって「わがまま」って普通じゃありません?自分の気持ちを素直に出せている証拠で、至って健全だと私は思っていて。
発達の過程では、要求や自己主張、交渉はとても大切な力だと思います。だから全部を「特性」として受け入える必要もないし、全部を「わがまま」として叱る必要もないのかなと。
私たちが支援の現場でよくやるのは「こだわりは安心を作ってから広げる」という方法です。
例えばいきなり「今日は違う道で帰るよ!」ではなく
「今日は工事で通れないから、こっちの道にするね」と
理由+予告を伝える。すると多くの子どもは意外と受け入れられたりするんですよね。
自閉症の子どもの「こだわり」は困った行動に見えることもありますが、実はその子なりの世界の整え方だったりするんですよね。
そしてときどき混ざる「わがまま」はその子がちゃんと成長している証拠でもある。単なる「わがまま」かもしれませんが、それはそれで健全なる自己主張と捉えたら、愛おしいじゃありませんか。
だから今日も少し肩の力を抜いて子どもを観察してみてください!きっと「あ、そういうことか」と思える瞬間が出てきますよ〜😄