親なきあとの、重度自閉症の兄と私の人生。私だけ自由で申し訳ない…複雑な想いで迎えたはじめての面会

ライター:スガカズ
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私の7歳離れた兄には、重度の自閉スペクトラム症と知的障害があります。
昨年、障害者支援施設で暮らす兄と久しぶりに面会をすることができました。
私たちの両親は他界しているため、「親なきあと」に面会するのは初めてです。
久しぶりに会えるのがうれしい反面、面会するまでは、言葉にうまく言い表せない、きょうだい特有の複雑な気もちにもなりました。

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監修: 三木崇弘
社会医療法人恵風会 高岡病院 児童精神科医
兵庫県姫路市出身。愛媛大学医学部卒・東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科博士課程修了。早稲田大学大学院経営管理研究科修士課程修了。 愛媛県内の病院で小児科後期研修を終え、国立成育医療研究センターこころの診療部で児童精神科医として6年間勤務。愛媛時代は母親との座談会や研修会などを行う。東京に転勤後は学校教員向けの研修などを通じて教育現場を覗く。子どもの暮らしを医療以外の側面からも見つめる重要性を実感し、病院を退職。 2019年4月よりフリーランスとしてクリニック、公立小中学校スクールカウンセラー、児童相談所、児童養護施設、保健所などでの現場体験を重視し、医療・教育・福祉・行政の各分野で臨床活動を行う。2022年7月より社会医療法人恵風会 高岡病院で児童精神科医として勤務。

「親なきあと」の準備から「親なきあと」になるまでの話

母と私
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私の母はもともと「生活保持義務」や「生活扶助義務」について私に責任をもたせる意思はなく、親なきあとの成年後見人についても、母と母方の親戚の間で、叔父(母の弟)にお願いすると決めていました。

兄が20代前半のときです。
母の持病が悪化してしまい、重度の知的障害のある兄を育てることが難しくなりました。そのため私たち家族は、兄のこれからの人生を障害者支援施設で送ってほしいと願い、入所するための準備をしました。

入所を希望する施設には、同じ社会福祉法人が運営している共同作業所が隣接しています。その作業所は以前から兄が通っていたところで、障害者支援施設に入所した方も利用しています。そのため、仮に施設入所が決まった場合でも、兄の環境の変化が少なく済みます。

私は、こういった「親なきあと」の母の意向を早めに知ることができたことは、とてもありがたかったです。私は当時高校生でしたが、「兄を含めみんなが自分らしい人生を送れるのでは」と安心したのを覚えています。

それから4〜5年ほど入所を待っていたと思いますが、たまたま空きが出て、施設の入所が決まりました。

現在は、施設でお世話になり始めてから18年ほど経ちました。
兄と叔父
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5年前に母は亡くなったのですが、当初の予定通り、叔父が兄の成年後見人になりました。主に母方の叔父や叔母たちが施設に面会に行ったり、ときどき外食に連れて行ってくれたり、物資の調達、医療や支援などの協議、財産管理などをおこなってくれています。

私は実家から500キロ離れたところに住んでおり、4人の子どもたちもまだまだ目が離せないので、兄の身の回りのサポートをするのは難しいです。そのため、兄の身の回りのサポートをしてくれている母方の親戚には頭があがりません。

コロナ禍で直接会うことは難しい…施設長が提案してくれた「WEB面会」という方法

施設長と電話する私
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わが家の末っ子が5歳を迎えたころ(昨年)少しだけ子育てにかかる時間に余裕ができ、久しぶりに兄の入居する施設に電話をして、兄の様子について聞くことにしました。

電話をとった方は施設長でした。
施設長は、養護学校(注:現在は特別支援学校)卒業後に通っていた作業所で働いていた方で、兄との付き合いはかれこれ30年近くになります。
「(亡くなった)お父さんもお母さんもよく作業所に来てましたよ」と昔話に花を咲かせているうちに、施設長から「よかったら、WEB上でお兄さんと面会しませんか?」というご提案をいただきました。私がなかなか会いにいける状況ではないこと、さらにはコロナ禍で実家にすら帰ることができないという事情を知った上で提案していただきありがたかったです。

さっそく施設長の厚意に甘えさせていただくことにしました。

電話を切って最初のうちは、私はうれしい気もちでいっぱいになりました。ですが、時間が経つとだんだんと、言葉には言い表せない複雑な感情が芽生えてきました。

私が面会することで、兄の情緒が不安定になってしまわないか?という不安

不安になる私
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私が直近で兄と会ったのは、5年前。母の葬儀のときに兄が支援員さんと参列したときです。
そのため、そもそも「あまり会いにこない妹のことを兄は覚えているのか?」といった疑問をもちました。

また、このような不安もありました。

「仮に妹のことを覚えていたとして、私と面会することで、兄の情緒が不安定になってしまわないだろうか?」

兄はもともと情緒が不安定なときに、耳を抑えてうなることはありましたが、癇癪などで表現することがないので、周りに兄の気持ちの変化などがなかなか伝わりません。また、自分の感情を言語化することができません。そのため、私は兄の本心を知ることができず、兄が今までどんな気もちで「親なきあと」の生活を送っていたのか分かりません。

ただ、私が知っている事実は、「兄は母の死を今も理解できていない」ということです。

母が亡くなったあと、施設の職員さんは兄に「お母さんは、もう会いにこれないって言ってたよ」「天国ってところに行ったんだって」と伝えてくれていました。それからというもの、兄は時折「おかあさん、テンゴクにいった」と、笑顔で独り言を言っているのだそうです。

テンゴクはどんなところなのか?
なぜテンゴクにいったのか?
なぜテンゴクにいくと会いにこれないのか?

そこは理解してはいないようです。

心の底で兄は、母が面会に来なくなったことを、悲しんでいるのではないだろうか?
いつか来てくれるだろうと待っているのではないか?
もしそうだとすれば、私(家族)が面会することで、「母に会いたい」と思い、情緒が不安定になってしまわないか?
不安定にさせてしまうのであれば、「兄に会いたい、話したい」と私が思うのはただのエゴなのではないか?

そういった複雑な気もちが芽生えました。
次ページ「外の世界で、兄とは別の人生を送っていること、自由に行動できることへの罪悪感」

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