発達障害のある子どもを「通常学級」に入れるときに気をつけたい3つのポイント
2016/10/26 更新
お子さんが発達障害と診断されていると、小学校の進級先を「特別支援学級」にするのか、「通常学級」にするのか、すごく悩んでしまいます。生徒数も多い通常学級で発達障害のある子が過ごす場合、保護者として注意したいポイントについてお話したいと思います。
立石美津子
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ひとクラスに1人や2人ではないのです。
5人も6人もいて…
先生以外に支援員がいても手一杯なのが実情です。
学級崩壊以外にも
忘れられている子どももいたりします。
先生は、疲れ果てています。
気合い入れ直して、接して行こうと思います。
新学期早々脱走を繰り返し、学校一の問題児だ、と先生共通の有名人となりました。が!どういう風の吹き回しか、5月に入ると脱走や本棚(狭いところ)への入り込みが激減。担任から、今日は1日席に座り、授業もノートがとれたと報告あり。落ち着いた日々が続いています。が!先週から(一見些細なことで)機嫌を損ね、数日続けて給食を一口も食べませんでした、と。次から次に休みがありませんが、壁、乗り越えるべく行きたいと思います。
小学校に見学をして先生とお話させてもらって。今のところ通常学級でいけるかな…と思ってますが、保育所の先生方の報告など聞くとやっぱ無理かなと、行ったり来たり。
まだ模索中です。
親の勉強の場として通級も検討したいと、、、😓
親としての私のエゴだけだったんだと、今なら思います。
全て通常級でいいのでは❓支援が必要な子どもには、周りの友だち、大人が考えてあげ、どうしたら、お互いに生活して行けるかを学べるといいのにな❓と思うようになりました。
今は、息子の困り感を多くの大人に私が伝え知ってもらうよう努力しています。
そして、親から離れて生活する事を覚え、成長出来ることを感じてもらいたいと思っています。
私は図書ボランティアをしています。通ってる学校は月に一回朝の読み聞かせがあったり、年に三回くらい図書ボランティアのイベントがあります。学校に行く機会が増えて、学校の様子がわかります。わが子の様子のほかに、他学年の様子学校の雰囲気もわかります。先生と他の親御さんとの距離感というよりも、子供のお友達とも仲良く慣れました。親の顔を友達が覚えていると、色々お願い事を友達にしてみたり、子供目線でのわが子の様子を聞くことが出来ます。
そしてわが子が本を好きになってくれるという特典もあります。
家は学童待機児童だし、土曜日仕事なので、三年生以降は放課後の過ごし方も心配です。色々模索してます。
療育を頑張って普通の保育園、小学校に入ってほしいと思っていましたが…
他害だったり、特に何もしてない子に八つ当たりは無いのですが、馴れ合いのつもりが力が強かったりで迷惑掛けたり、距離置かれたりします。
中学校に行くと、こればかりは自分で理性を築き、抑え、感情のコントロールをしていく必要が確実にあります。
そんなときこそ、温かく見守る大人が学校だったり、放課後支援だったり、気の置ける友達だったりするわけで。
母は強くなることは無いけど、踏ん張る力は試されているかと、私は、考えてます。
発達障害ってくくりで片付けるのではなく、社会全体がいつかすべての人間を個性として受け入れられるような街づくりをしていく必要が求められているかと。
日本人の優劣社会がまだまだはびこる間は、それは難しく、何か個性がぶっ飛んでないと認めない空気もあるのかもしれません。
健常者の方には、平均値というのも個性だったりするのだということも是非とも忘れないで欲しいと願います。
強い大人にならなくていい、立派に社会とつながっていなくてもいい。
どこかで1つのピースとして埋まる事が出来るのなら、それも幸せ。
ADHDなのに、バスケをやらせてみて、大丈夫か心配だったけど、考える力と同時に走るのと手を使うことを両方行う事が出来ないと思っていたが、年々出来るようになり、役割を理解しようと頑張って考えている。
今でも、通常級にいるけど、それが悪かったか?私には判断がつかない。上の子は不登校になったけど、支援級に行ったらこうならなかったか、分からない。支援級に行けば、別の不適応があったとも思うし。真ん中の子は、クラスでも勉強ができたから、支援級はやはり考えなかったと思う。
グレーゾーンの子は現段階では、選択肢があまりないと思う。
本当は、勉強の仕方もユニバーサルデザインのようになれば生きやすいだろうと思っている。
定型/非定型が対立しているような見方が気になりました。
どんな軸で見てもグラデーション、全員が同じカテゴリにはっきりと分類されるということは本来無いはずなのに。(もちろん、サービスを受ける上でのカテゴリ分けは必要ですが、意識の問題です。)
どちらに肩入れしようと、グラデーションを認めない見方は差別です。
対立図式ではなく、定型の子にも特性はあるだろうし、全ての人に生きづらさ、逆に得意なことがあるという見方が一般的になればいいなと思いました。
保護者自身に障害者差別の意識が強くて、できる支援もできない事が多いです。
入学時には保護者の意向が優先されますが、それが本当に子供のためになっているのか疑問です。
これからの子供達が躓きが少なく生きていけますように願っています。
いくら対処方法をお願いしても受け入れて貰えず本当に地獄でした。毎日学校から帰って来ると「死にたい。殺して。」と幼児と新生児を抱えながら愛する我が子に言われる気持ち分かりますか?
結局私もうつ病と解離性障害になり、今は担任に話さず教頭先生と話をして、宿題の量や勉強やルールの説明の仕方など変わってくれましたが、あと1年、あの担任に任せることが怖くて支援学級でお世話になることにしました。