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Akemi Watanabe
娘のこはる(5歳)が、軽度の知的障害の手帳を申請するまでの記録と、日々の生活をアメブロに書いています。
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一昨年の11月に、こはるの支援学級に行く準備が始まって、バタバタと児童相談所や、区役所に行って手続きをした。

年明けには、私たち夫婦の発達検査をして、家族全員が軽度の知的障害だという事が判明した。

わたしは、IQの数値がグレーだったけど、注意欠陥障害があって 会議にかけられた後 手帳の申請が下った。( 春から精神科で検査をしなおして、正式にADHDと判断が下って、ストラテラを服用して自分と向き合う事にした。)

こはるが、小学校入学して しばらくは、泣き通しで どうなることか と想ったけど、支援学級の先生とは 毎日 送り迎えの時や、連絡帳で やり取りで 笑顔で通えるようになった。

軽度の知的障害とわかった時、この子の将来どうなっていくんだろう?と不安にかられたけど、今は、そんなことは どーでもよくて こはるが、一日 楽しく過ごせるようにと言うのをメインに過ごしている。

夫も、軽度の知的障害なので、気に入らないことがあると すぐにブチ切れちゃうけれど、ADHDの私が日々ドジをしっぱなしなのも受け入れてくれてるんだよなと想うと、イライラすることもあるけど、感謝の想いが湧いてくるようになった。

この先も、トラブルは耐えないかもしれない。けれど、そんな状況でも、明るく前向きに生きていれば、必ず乗り越えられる気がする。

そんな想いを残したくて、久しぶりに書いてみました。

読んでくださって、ありがとうご
ざいます。
娘が、幼稚園 年中の時から 色の名前がわからなく先生に相談していたのですが、その状態は 年長になっても変わらずピアニカをやる時に、楽譜を見ながら(色で書いてあったのですが) ピアニカに貼っている同じ色シールを教え演奏することが難しそうでした。

園長先生に相談したのは、その年の10月で、幼稚園を回っている支援の先生に相談することになって翌月の11月に発達検査をすることになりました。

検索結果で、支援学級に進んだ方が良いと言われ、そこからバタバタと市役所に行って受給者証を申請して児童デイに通って、支援学級に進む準備をしました。
小学校に入学して、想ったこと。

勉強をさせないでください。
ただ元気に登校してくれればそれでいいですから。
(入学時に先生に言われた言葉です)

支援学級には、教科書がなく、代わりに生単(生活単元)と言う人間形成の授業があります。

いくら交流学級と行き来ができます。と言われても、教科書で何を習ってるのかわからないんじゃ行きようない気がします。

そして、普通学級の子も。

支援学級に勉強がないと知ったら、見た目以上に差別の対象になるのではないのかと不安になります。

どーして支援学級は、勉強しなくて良いの?

学校、そして国が何を考えているのか、小学生にもわかる言葉で、きちんと説明して欲しいと想います。
YES
支援学級に行くことが決まったあとに、児童相談所に行って軽度の知的障害の手帳を申請できた経緯を含め、家族全員が軽度の知的障害であることと それに加えて、わたしがADDであることも打ち明けています。

支援学級の先生には、これから6年間お世話になるので、なんでも知らせた方が良いと考えています。
私たち家族全員が、軽度の知的障害だとわかり、手帳を申請できたのですが、なぜ、更新があるのでしょうか?

パパの年は、53
わたしは、43
娘は、6さい

パパは、更新なし
わたしは、10年後
娘は、2年後です

知的障害は、生まれつきの脳機能障害で変わることがないのに、、、

生活に不自由がなくなると手帳が貰えなくなるなんて、おかしいと想います。
した質問

初めて投稿します

私には軽度知的障害の夫がいます。夫の仕事はクローズで一般就職です。特に業務的には影響ないです。ただ、手続きや難しい言葉への理解が難しく、会...
回答
>はな様 ありがとうございます。 ラッキーなことに離婚とほぼ同時に就職が決まり、通っていた就労支援プログラムの仲間とも交流ができて、社会復...
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