こんにちは。
長文ですが、よろしくお願いします。
私のちょっとした知り合いの方で、息子さんが発達障害の方がいます。
知り合ったとき、すでにその息子さんは小学校高学年。 お母さんは、いつあってもどことなくつかれきっていました。
そして、ある日、「やっぱり駄目ですね。」 と一言言ったのです。
わが子も発達障害。
当時、私の息子は小学校低学年で、私もすごく希望に満ち溢れていて、息子に対して色々な指導を試して見ました。 学校の先生もみなとても協力してくれました。
ところが、わが息子が3年生くらいになった頃から、
「ああ、わが息子も、やっぱりだめなのかなあ。」と思うようになりました。(知的障害はないです)
私、本当に色々やったんです。 そして、知り合いのお母さんの、いつも疲れている気持ちが、本当に身にしみて分かるようになりました。
息子をあきらめる、と言うのとは違うんです。
目の見えないお子さんだったら、視力はあきらめる。 と言うように、
うちの子は気がつけないから、「気がつく」と言うのはあきらめる。
というように、部分的にちゃんと障害、(出来ないんだ)って、認めよう、って思うようになってきたんです。 (つまり、出来ない部分は一生サポートが必要と覚悟する)
学校の先生は、息子が突然大声を出すのをやめさせようと、色々考えてくれます。 でも私は、息子のそれはもう仕方ない。(直らない、そういう脳だから)って、すごく実感しているんです。
小さいころお世話になった療育の先生に、「もう、このまま何もしないで、ありのままの息子にしておいた方がいいのでは?」っていって見ました。 すると、
「お母さん、そこに気がついたんですね!すばらしい」と言われました。(療育の先生からそういわれると、ちょっと矛盾なのですが。いったいじゃあ、何のための療育って。)
長くなりましたが、質問としては、
皆様もこうやって、障害を理解し、認めて、覚悟を決めていくものなのでしょうか?
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この質問への回答7件
うちの息子は高1です。 普通級だったので、苦手部分を引き上げようとしたり、友だちとのかかわりに悩む毎日でした。 小学校の高学年の時は、他の子が急に大人びてきて、我が子との差に落ち込みました。LDがあるので、勉強面ではすぐ忘れるし、頑張ってくれないので無理強いもありました。 それは私の悪あがきみたいに感じました。 だから、あきらめるというより、発達具合に折り合いをつける、というふうにとらえました。 療育は体系的に研究されてても、状況に応じて効果は子供はそれぞれ。ただ、空回りに思えることも、長い目で見たら良い方に向いて行ったり、報告を聞いて親が対応を学んでいると思います。 そもそも個性です。難儀なヤツやな~と見守るのが親の役目と思っています。
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