2015/06/14 01:00 投稿
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はじめまして。現在小4の女の子で、支援学級に通ってます。小1の夏あたりに小学校の先生から、黒板の文字をノートに写すことができず、あわてて病院へ。検査の結果、IQがボーダーギリギリで、不注意、LDがありますと言われ、語彙力が少ないので増えれば、変わるかもといわれました。通級がよかったのですが、仕事もあり、くるまでの送り迎えも、無理だったので、三年生から支援学級にはいりました。病院では、何かあったら来て下さいと言われ、特にはいかず、子供はというと、少し気性が激しかったり、反抗的であったり、中学までに、普通学級に戻してあげたいなあとか、色々な思いもあり、もっと療育ってできないの?と最近、考えこんでます。ひとによっては薬も服用されているようで、みなさんどのようにされてますか?

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この春高校生になった息子は、3歳の時に広汎性発達障害(ASD/自閉スペクトラム症)の診断を受け、発達支援センターや通級、放課後等デイサービスに小学6年生まで通っていました。 中学に上がる前に、もう一度発達検査を受けるつもりでしたが、小6の頃から自己肯定感が上がり、友達とのトラブルが減っていたので、検査は受けず、今までの問題行動を知らない子どもたちの中でなら、上手く学校生活が送れるようになるのではと引越しをして、新しい土地で中学校生活をスタートさせました。結果は、3年間楽しく通う事ができました。ですが、LD・SLD(限局性学習症)を疑うような成績で、コミュニケーション能力の低さ、整理整頓の苦手さ、不器用さなど、生活を送る上での生きづらさも感じている様でした。 息子は自分に苦手な事があると自覚していますが、発達障害だとは知りません。 そこでご相談なのですが、もう一度発達検査を受け、発達障害があることを告知した方がいいでしょうか?もしくはこのまま、子どもの頃に発達障害の診断を受けていた事を知らずにいるのがいいのか、どちらが息子にとっていいのか迷っています。 息子は「障害」と聞くと劣等感を持ってしまいそうで、今まで話す事ができませんでした。 この3年間ずっと悩んでいたので、アドバイスいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。

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2025/05/21 投稿
学習 コミュニケーション 診断

軽度知的障害のある息子の独り言について 現在小4の知的障害特別支援学級に通う軽度知的障害の息子がいます。ASD(自閉症スペクトラム)もあり、たまに空気を読まない発言をすることもありますが、学校へは毎日楽しく通っており、友だちとのトラブルなどもそこまでないようです。 最近気になっているのが息子の「独り言」です。小さな頃は自分の思っていることを独り言として言っている姿もほほえましかったですし、思っていることなども分かって良かったのですが、小4になった今でもまだまだ独り言が多いです。 例えば電車に乗っているとき…次の駅名や運転手さんのアナウンス、風景の様子など「これは心の中で言って欲しい」と思うようなことを普通の声の音量で独り言として言っています。 幸いにも(?)息子は身長も低く、見た目は小学校低学年にも見えるのでまだ周りの方はスルーをしてくれているように見えますが、今後中学生・高校生になり、一人で電車に乗っている時などに大きな声で独り言を言ったら周りの人に不安を感じさせてしまわないかと心配をしています。 今はとにかく「電車の中では喋らないよ」「声の音量もう少し小さくしようか」と伝えていますが、いまいち効果も薄く…どのように伝えていけばいいのか悩んでいます。

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2025/04/08 投稿
ASD(自閉スペクトラム症) 小学3・4年生 知的障害(知的発達症)

居住地について。息子は4月から年長です、軽度の知的があり自閉的傾向と言われています。療育と幼稚園に半々で通っています。癇癪や他害などはありませんが上手にお友達と遊べないのが今の悩みです(入っているようで入れていない=一人で遊んでいる、ルール理解が今いち、役割設定も自分のわがままを通すなど) 夫が転勤族で今は政令都市程度のところに住んでいます、治安や住環境がよく療育もたくさんの選択肢があり、幸運なことにとても相性のよい療育にも通えています。しかし親戚関係は一切いません。夫が最近転職を考えているようです、息子の将来を考えて小学校入学を機にどこかに定住するほうがいいのかな、と考えています。夫が東京出身で私が地方出身です、今の場所は東京からも私の実家からも遠いですが環境は抜群にいい、東京は将来的に高校や職業などの選択肢が多そうだということと親戚関係が少しいる(祖父母など、いとこはいません)しかし東京は人が多すぎて療育もすぐには入れないのでは?治安は?などの懸念があります。私の実家は田舎なので療育などの選択肢に乏しそうでもあり(あるにはあるが例えばリタリコなどの大手はない)質もどうなんだろう、田舎ゆえに逆に閉鎖的そう、とも思いますが息子のいとこもおりのびのび過ごせるかもしれません。私の実家近くにも政令都市があります、そこも今と同じような選択肢が望めそうではありますが実家からは車で2時間位離れています。 息子にのぞむことはやはり将来的には仕事に就いてほしいということと騙されずに暮らしてほしい、ということです。一人っ子なのでどうセーフティネットを築けばよいのかとても迷っています。今の環境はとてもいいけれど私たちがいなくなれば息子は独りぼっちです、東京は祖父母はいますが祖父母も息子より先にいなくなります、私の実家にはいとこたちがいますがいとこに全てを託すというのもおかしな話だとおもいます(兄弟には息子の現状は理解してもらっておりとてもよくしてもらっています。)今のご時世は行政に頼っても一人で生きていけるようにできているのか本など読みましたが万全ではないですよね・・みなさんならどこに住みますか?またこのような悩みを解決するために相談できるような機関があれば教えてください。長文になりましたが宜しくお願いいたします。

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2020/03/17 投稿
ルール 小学校 幼稚園

軽度自閉症(軽度知的障害あり)の21歳女性です。長文ですいません。私は、小学校2年生の頃に自閉症と診断されました。母から聞いた話ですが、それまでは私が3歳の頃に母が保育園の先生から「言葉が遅れている」と言われ、児童相談所にて遠城寺式で検査したところ「言葉の遅れがある」と言われ「まだ成長途中なので様子見」と言われたそうです。それで、保育園の先生から「ことばの教室」を紹介されたそうです。小学校入学前の就学時健診の時には発達障害や知的障害は診断されなかったのですが、集団検診2回目を個別で行われた際に支援学級を勧められ、支援学級のある小学校に入学しました。小学校低学年の頃は落ち着きもなく特に普通学級との交流や集団が苦手だったので癇癪を起こしたりパニックになったりしていたので母も支援学級(担任)の先生や普通学級の先生も「なんでこうなるのか?」理解してくれませんでした。普通学級の子たちも私を見て「変な子」と思われ、いじめられたりしました。学童保育でもひどいいじめを受け、学童保育の先生は見て見ぬ振りで担任の先生に相談しても「何も問題ないじゃん」と言われ、両親にも相談したのですが、両親も分かってくれず、信じてくれず結局、不登校になりました。学校の先生も両親も「なぜ学校に行かないのか?」理解してくれませんでした。母は一応担任の先生に「うちの子は学校で叩かれたり、鞄を隠されたりしているみたいで「学校に行きたくない」と言ってるみたいなんです。」と伝え、別の日に朝の会(朝礼)で普通学級の先生がみんな(普通学級の子たち)にこのことを言ったのですが、普通学級の子たちは「遊びでやった。そしたら喧嘩になった。」と言い、普通学級の先生や担任の先生も「いじめ」ではなく「ただの喧嘩」だと認識し、注意とかしてくれませんでした。その後もいじめは続きました。小学校2年生になって母がたまたま私の様子を見ていた時に他の同年代の子との会話のレベルの差の開きを感じ、担任の先生に相談し、「児童相談所へ行ってみては?」と勧められ児童相談所で田中ビネーを施行し、児童精神科医より自閉症と診断され療育手帳を取得しました。母が担任の先生に私が自閉症と診断されたことを伝え、「この事(私が自閉症になってる事)を普通学級の子や先生に伝えた方がいいのでしょうか?」と言ったのですが、担任の先生は「伝えなくてもいいでしょう」と言われたそうです。それで、母も普通学級の子や先生に私が自閉症になってる事をつたえなかったそうです。もちろん、私にも本当の事を伝えなかったそうです。それで、普通学級の子たちからのいじめがさらにエスカレートしていきました。私が小学校2年生の頃の担任の先生は小学校一年生の頃にお世話になった普通学級の先生で普通学級の先生からから支援学級の先生になったそうです。(私が小学校5年生まで同じ先生でお世話になりました。)支援学級(担任)の先生も普通学級の先生も発達障害の知識を知る人がおらず、私が小学校2年生になっても落ち着きがなかったり、人にちょっかいを出したり邪魔したり不適切な発言をしたりなど私の行動や特性に理解してくれず、長時間叱られたり、怒られたりしました。他にも私は知的障害を持っており、特に算数が苦手で自分でも努力をしてるのになんでできないんだろうと悩み担任の先生に「ちゃんと勉強しなさい。」とか「努力が足りないからこうなるんです。」「なんでここができないんですか。」と厳しく叱責されたりしました。母も私が自閉症と診断されてから自閉症は生まれつきの障害である事や自閉症は治らない事、自閉症は「コミュニケーションが下手くそ」と誤った間違いというかそういう認識をしていたそうで、それでも私の特性を理解してくれませんでした。両親も発達障害の知識を知らずに「自閉症」という診断名だけ受け止めていたそうです。私が小学校3年生になっても4年生になっても普通学級の子たちからのいじめは続いていました。そばにいた普通学級のの先生は見て見ぬ振りをしていました。担任の先生に相談しても「あなたはそういう人だからいじめられるんです。」とか「それは仕方がない。」と言われました。両親に相談しようと思ったこともあったのですが、信じてくれないだろうと思い、隠し続けました。私が小学校6年生に支援学級の先生が変わりその先生も元普通学級の先生だったので発達障害の知識を知らず私の特性に理解してくれませんでした。普通学級からのいじめも続いていました。私は今まで苦痛な思いをしてきました。あまり、細かいことは書きませんでしたが、私と同じ発達障害を持ってる方や発達障害を持つ子供さんが私みたいなこういう(近いような)経験はありますか?それと、私が小学校2年生の頃に自閉症と診断された時に母は児童精神科医から生育歴とか学校や家庭での様子など何も聞かれなかったと聞いてます。こういう受診(自閉症の診断)の仕方は普通なんでしょうか?私が小学校の頃は発達障害は生まれつきの障害ということにまだ、周知というか認識していなかったのか学校の先生や両親からも理解されずに全て「努力が足りないから」とか「自分が悪いから」「しっかりしてないからでしょ」と誤解され言われ続けてきました。配慮とかしてくれませんでした。他にも普通学級の子から「なんで普通学級じゃなく別のクラス(支援学級)になってるの?」と聞かれたこともありました。私もなんで普通学級ではなく支援学級だったのか?なんでみんなとは別々の教室だったのか?理解できませんでしたが、親や担任の先生に「あなたはみんなと比べて勉強が遅れてるからここのクラス(支援学級)に入ってるのよ。」と言われました。普通学級に通ってる(交流している)理由についても「みんなと同じようになって欲しいから」と言われました。療育手帳を持ってることにも違和感を感じていましたが母は「(普通学級の)みんなも持ってるから大丈夫だよ。」と私に言ってたそうです。児童相談所に(知能検査しに)通ってた理由も「勉強が遅れてないかどうか頭の検査をしてるんだよ。」と言われました。中学生になってから支援学級(担任)の先生から「ここのクラスは知的障害のあるクラスなんだよ。」と言われました。家に帰って母に聞いたところ母から「あなたは知的障害がある」と言われました。最初少しショックを受けましたが親や担任の先生、同じクラスの子から「知的障害は勉強が遅れてるからすぐではないが少しずつ治るから大丈夫。」と言われ、少し安心しました。この時は自閉症という言葉も知ったのですが、担任の先生や同じクラスの子は「自閉症は自分の殻に閉じこもってコミュニケーションができなくなる病気」とか「自閉症は正式な病名ではないから分からん」「自閉症は中二病と同じもんよ」「自閉症と知的障害は関係してるって聞いたことはあるけど、でも、噂だから本当かどうかは分からん、関係ないと思う」「自閉症は放っておけばそのうち治るよ」「知的障害は認知症みたいなもんよ」「自閉症は珍しい病気だから」などいろいろ言ってたので、担任の先生や同じクラスの子たちも発達障害の知識を知る人がいませんでした。その時私は「じゃあ、私も自閉症あるんかな?」と聞いてみたのですが、担任の先生に「自閉症なんてありませんよ」と言われました。母にも「ねぇ、自閉症って何?」と聞いてみたのですが、「うちも自閉症は何なのか分からんのんよ。でも、自閉症は確か「コミュニケーションが下手くそ」って聞いたわ」と言ってました。「自閉症と知的障害は関係してるの?」とそれも聞いてみたのですが、「自閉症と知的障害は関係してるっていうのは聞いたことはあるけどうちもそこは分からんのんよ。」と言ってました。さらに私は母に「ねぇ、私は自閉症になってるの?」と聞いてみました。母は「自閉症にはなってないよ。」と言ってました。自閉症は私が19歳の頃に母から「あなたは自閉症になってる。」と言われました。「なんで今まで本当のことを言ってくれなかったの?」と問い詰めたら母は「本当のことが言えなかった」と言っていました。高校生になってから支援学校(専攻科)に入学したのですが、支援学校の先生も発達障害の知識を知る人がおらず「自閉症ってなんですか?」と聞いても担任の先生も「ごめん、先生も分からないんよ。」と返されました。今までの私は小学校2年生の頃に自閉症と診断されてからデイサービス(療育)や支援、サポートを一度も受けてません。(この時担任の先生や母が「軽度だから何もしなくてもなんとかなるだろうと」と思っていたそうです)なので未治療(療育なし)未支援(サポートなし)です。

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2018/12/11 投稿
先生 児童精神科 田中ビネー

久しぶりに投稿します。近況をご報告します。 息子ですが、登校しぶりが多くなり行けても5時間めだけ、給食だけなどで、休んでしまう日がほとんどになってきました。私もこのままでは、行かなくなってしまうなと思い、動かないといけないなと夫と支援学級の見学をして、市の発達教育センターにも相談をしつつ、担任の先生とも週に3回くらいは電話をしながら進めてきました。 もうすぐ一年生も終わり・・区切りということもあり、4月から転校の形をとり隣の学校の支援学級がいいでしょうとのアドバイスを市の発達教育センターの相談員さんからもらいました。2月終わりくらいのことです。急いで支援学級の体験を2日させました。 少人数なので馴染みやすかったようです。 息子は比較的のびのびとしている感じでした。PCの授業なんかもあって、それは初めてだったので楽しそうでした。休み時間は、同じ支援学級の五年生と仲良くドロケイなんかして校庭を走り回っていました。体験の日の朝は、かなりしぶって連れていくのが大変でしたが、行ってしまえば難なく過ごしていたようです。 普通クラスでは30人の大人数。息子は普段はとても自由で明るくて愛されキャラ、ひょうきんなのに、クラスの中ではそれが発揮されず、固くなったり緊張したり。勉強もなかなか難しく、チックが出てしまい、音声のチックになり。。教室にいられずに別室で受けることも増えました。 先生は、とてもよくして下さって、受け止めて下さってましたが、それでも本人には負担が大きかったのだと思います。 お友達受けはよく、いつも友達には囲まれていました。転校となるのでお友達関係は少し残念ですが、本人にとっては友達については、そこまで重要なことではないようです。 普通学級でいられたら、いろんな子が過ごせるような、そんな世の中になったらいいなという気持ちは変わりませんが、息子の場合は学校嫌いになってしまい、どうにもこうにもいかなくなってしまいました。家で、レゴをしたり、簡単なプリントをしたり、お手伝いをしたりしてもらっていました。 私が、会社勤めだったら仕事を辞めていたのかな・・・。幸い、自宅で仕事をしているので、対応できました。4月入学からずっと、朝の登校も一緒に歩いて送っていました。いつか一人で行けるかな、きっと行けるさ!って思っていましたが。残念ながら、登校しぶりはどんどんと増えてゆきました。 たまに息子にあたってしまうこともありました。 家で仕事をしていることが、幸か不幸か。一緒にいて、イライラしてしまうこともあります。 その分、あとで謝ったり、大好きだよと伝えたり、ぎゅーっと抱きしめてあげたりは心がけています。 支援学級の先生と話していると、私も少しほっとする気持ちがありました。 気持ちが緩んでいられるというか。 不安はあり、やはり中学、高校くらいになってからの進路、職業。男の子って・・その頃思春期で、どんな息子になっているのかちょっと怖いです。 夫も、思春期は悪さしてたようで、息子と似ているのでそんな風になるのかな・・などと思ってしまいますね。思っているとそうなりそうなので、もっと前向きに考えようと思います(笑) もう本当に、息子と夫には、手がかかります。 私ももっと理解してあげないとなって、でも子供はできるけど、夫はもう大人なんだから 自分のことは自分でしっかりやって!っていう目線で見てしまいますね。 私、どんどん強くなってしまいそうです。頼れない夫・・・を作っているのは私なのかもな。 でも、育児で、自分が成長できていることもたくさんあります。 何ごとも受け止め、ゆっくりでも楽しく、進んでいくしかないですね。 ここまで閲覧してくださりありがとうございました。

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2016/03/14 投稿
知的障害(知的発達症) 小学1・2年生 思春期

相模原の事件について思うこと 長文、失礼します。 24歳の夏、再就職のための勉強と家事手伝いをしていた私。市のボランティア体験学習に参加してみた。 最終日は知的障害者入所施設の見学だった。 正直、気が重かった。知的障害者の方と接したことがなかったので、なんとも言えない不安感のようなものがあった。 バスを降りると、ベテラン女性職員が笑顔で迎えてくれた。 「みなさん、来てくれてありがとうございます。こうして、みなさんに来ていただくことが有り難いのです」という内容だった。緊張が和らいだ。素敵な女性だと思った。 利用者の方々と施設周辺を散歩しながらゴミ拾いをして、一緒にジュースを飲んだ。自分より年上の女性が「おねえさん、おねえさん」となついてくれた。 最後にみんなで「手のひらを太陽に」を歌った。子どもの頃から何度も何度も歌っていた歌だったが、そのとき歌いながら、今まで感じたことのないような体の底からこみあげるような深い感動がわいて、泣いてしまいそうになった。 私は全く知らなかったけど、ここにこうして頑張って生きている人たちがいる。それを支えるスタッフの方たちがいる。 なぜ、もっと早くこの世界を知ることができなかったのか?と、一緒に参加していた高校生が羨ましかった。もし、私が高校生だったら、大学で福祉を学んで仕事にいかしたであろうに、と。 しかし、その後縁あって、知的障害児入所施設の児童指導員として就職することができた。 簡単な仕事ではないことは、覚悟していたつもりだった。しかし、就職して一ヶ月もたたないうちに早くも後悔した。突然、児童に腕を噛まれたのだった。最初は全く理由がわからなかったし、何より人に噛まれた傷が痛かった。 二年目からは、重度と最重度判定の児童が生活する棟に配属になった。何もかもカルチャーショックだった。 重度棟には、言葉のない児童ばかりで、歩行が不安定な児童もいた。児童といっても、中学生と高校生がメインで体格は大人並みの児童も多く、着替えやトイレや入浴の支援など重労働だった。 新人職員だった頃、最重度判定のお子さんが声かけに応じてくれなくて苦戦した。彼らは、人を肩書きとか表面的なことで評価しない。その人の人間性をまっすぐに見つめている。一対一の信頼関係が成り立たなければ、けっして声かけに応じてくれなかった。ごまかしのきかない世界だ。それは辛い日々でもあり、大切な学びの日々でもあった。 言葉のない子の鼻歌に励まされ、言葉のない子のとびきりの笑顔に癒されたこともあった。 彼らを支援する仕事で、私は自分の人生を支えてもらっていた。 辛くて何度も辞めたいとも思った。でも、彼らと過ごす一日のなかでは必ず心から笑える自分がいることも感じていた。 10年働いたくらいで、気力と体力の限界をむかえてしまった。結婚の話が出たタイミングで退職した。 それから2年後に息子を出産した。元気いっぱいの赤ちゃんだった。 息子は2歳で発達障害であることがわかり、3歳で知的障害であることがわかった。高年齢出産であったから、妊娠中は、子どもに何らかの障害があるかもしれないと覚悟しているつもりだった。障害の有無に関わらず、子どもはみな可愛いいということも知っていた。それでも我が子の障害が確定するのはショックだった。 息子に障害があって良かったとは思わない。でも、息子に障害がなければ出会えなかった出会いに感謝している。 人はだれでもひとりでは生きられないこと、まだまだ課題があることを神様が伝えるために息子は私のところにきてくれたのだと思っている。 障害がある、それだけで排除されるような社会は野蛮な社会だ。そのような社会では、誰ひとり幸せにはなれないだろう。 この世界に存在する命はすべてこの世界が受け入れた命だと思う。 相模原の事件で犠牲になった方々のこと、ご家族のことを思うと、くやしくて悲しくて。 なぜ、障害者への差別は存在しつづけるのか? 差別してしまう心までは否定できない。でも、障害があろうとなかろうと、みんなが幸せになる権利がある。そんな社会でありつづけるために、自分ができることを探し続けたい。

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2016/07/28 投稿
就職 知的障害(知的発達症) 大学

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