退会済みさん
2018/04/29 11:22 投稿
回答 8 件
こんにちは。
いつも皆さんの書き込みを見ながら、参考にさせていただいています。
さて、未診断グレーゾーンの小学2年生の息子のことでも日々頭を抱えていますが、今日は私自身のことでご相談したく書き込みしました。
男女差があるので、息子の様子と自分が近いとはあまり思っていなかったのですが、色々な本やネットの情報に触れるなかで私自身が発達障害ではないかと思い始めています。
例をあげたらきりがないのですが、人が普通にやっていることができない、という思いを常に抱えてきました。ただ、たまたま、そこそこ勉強ができたことと、基本は人見知りですがテンションがあがると社交的になるため、なんとかやってきました。特に仕事は性にあっていたようで、そこでの評価が自信につながり社会人になってからは日々充実しながらも、過集中のためやりすぎて体を壊すこともしばしばでした。
結婚後、本能的に子供が欲しいと思うこともなく数年夫婦で自由にやっていましたが、主人が心から欲しいと思っていること、婦人科系の不調が続き、きっと無理だろうと思っていた経緯の中で思いがけずすぐに妊娠しました。妊娠中も常に体調が悪く、切迫流産などを乗り越えて出産。その後、奇形もあって、はじめての育児の上、その手術やらケアやらをひとりで抱え、さらには発達障害の育てにくさと向き合ってきました。主人はとにかく多忙で、家にいません。主人の両親は遠方で具合も悪く頼れず。母は早くに亡くし、実の父は昔ながらの・・・という感じで、日常のヘルプはとてもじゃないけど無理です。
そんな中、仕事で中間管理職的な地位につき、多忙を極め、とうとう体を壊してしまいました。自律神経失調症と言われていますが、全身に痛み、不眠、意欲低下などの心の症状も出ています。
もう2年以上、自分の不調の解決策を探っていますが、改善されません。
いま通っている心療内科で息子ではなく自分の発達障害の話をしても、そうであったとしても軽度でここまでやれてきたので、むしろそこにこだわるほうがマイナスと言われています。
1年生ではよい担任に恵まれ、学校ではほとんど問題なく過ごし、行政のの支援児童のリストからも今年は外れ少し安心していました。が、2年生になり、合わないクラス、担任になり、特徴がさらに強くなり(もともとそういう特徴で、私の見方の問題かもしれません)、ここからさらにまわりとの差に向かい合う可能性も大きいのだろうな、と覚悟し始めました。また息子自身、自分とまわりとの違いをはっきりと意識し出し、劣等感が出てきました。
私自身、息子の学校にいってもママ友ひとりいませんし、体力的に無理で主人に仕事を調整してもらってどうして行かなければのときに行ってもらうことも多いです。私も他のママさん達に劣等感を持っています。バリバリ働いて、しっかり子育てもして、学校の役員も前のめりで、本当にすごいなと。今は働いてもおらず、家事も本当に最低限です。ちらかったらちらかりっぱなし、食べたら食べっぱなし。というか、それしかできない人間なのです。そのなかでも自分なりの工夫で息子に接しているつもりではありますが、やはり体調を崩してからは今までの自分とのギャップに日々苦しんでいます。
話があちこち飛んでしまいすみません。行政の窓口、何ヵ所かに相談してみましたが、あまりピンと来ませんでした。毎日、話す人もおらず、家にとじこもり、なんとかしたい気持ちがあっても前に進めない日々です。まずは心身の状態を改善したいのですが、多動の子供の動き、音がダメージになり、脳に負荷がかかります。日々、同じ注意の繰り返し。ちなみに1年前の突発性難聴の後遺症で聴覚過敏などがあり、音にたいしてストレス耐性がものすごく低いです。狭い家なので、どんどん歩かれるだけで、ため息がでます。
客観的に見て、私はただ甘えているだけなのでしょうか。某タレントの記者会見で、「甘え」という言葉が何度も使われていますが、罪は罪として罰せられるべきとして、背後にある人間が少しずつ積み重なってしまう弱さやストレスで社会性を失ったときにどう立ち直っていけばよいか、他人事でないように感じました。すぐ入院されたようですが、できれば私も入院して静かな環境で過ごしたいという思いがあります。でも医者からは、入院でさらに何もできなくなるかも、と言われたのと、確実に子供は家で夜ひとりになり、こんな親でもいるだけでいいのかな、とも考えます。
支離滅裂で本当にすみません。自分が自分のことでいっぱいいっぱいの中で、発達に偏りがあるお子さんとお付き合いされている方のお話をうかがえれば幸いです。よろしくお願いいたします。
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この質問への回答8件
退会済みさん
2018/04/29 12:43
補足です。 劣等感を持つことは悪いことではありません。 劣等感を引きずるからよくないのです。 劣等感とうまく付き合えばよい。 某メンバーも涙ながらに「甘かった」と言ってましたけど、世間的には甘かったのかもしれませんが、もっと守ってあげる方法はなかったのですかね。 甘えだと断罪するのは、適切な言葉もなく、やったことは誉められたことではなく、断罪しなきゃ仕方ないからこそなのかもしれませんが 考えて行動したところでうまくやれない人、対策を間違ってしまう人は当たり前にいます。 もしかしたら、彼は色々不運だったのかもしれないと思いました。 変な話、私が件の高校生なら、誘われてもおっさんの部屋には行きません。彼女は彼女で不運ですが、その子が行かねばここまでにはなってなく。 けれど、このやるせない出来事があったからこそ、抱えてる問題が白日のもとにさらされ、回復のきっかけにはなるのかもしれないと思いますから。 話はかわりますが。 私が今、家族や自分の特性や障害と向き合う中で 気持ちとしてふりきれないのは、我が子たちが困らないようなケアをすればするほど、子どもの困りが周りに伝わらないことです。 色々なことを感じとれない、自動的に色々なことを獲得していけないという自閉症スペクトラムという障害ではありますが、ルール化やパターン化で補うことでカバーしてきました。 しかし、そのことにどれだけの意味があるのか正直よくわかりません。 ねじ曲げたり合わせていくことが可能な子だからこそ、子どもを追い詰めています。 全く曲げられないところもありますが、多くは曲げてます。 定型の人も誰しもが自分のことは折り曲げたり畳んたり丸めています。 だから、「合わせるのはいわば当然」と安易に思われてしまう。 より折り曲げにくく、畳みにくい素材で出来ているということには注目してもらえませんし、畳むためにものすごい努力と、工夫が必要なことも気づいてももらえず、結果だけを見られています。 たたまねば仕方ないですから、たたみますけどね。 けれども 彼らにも、私にも それしかないのだろうか?と、わびしくなるときは時折ありますよね。
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