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質問では無いですがちょっと違和感を感じた事について。
毎年、小学校で全学年対象の特別支援、通級指導教室への理解を深めるための学習があります。
内容は支援、通級の子たちへの理解を深める、お互い助け合う心を育てる、といった内容です。
先日、学習後にお便りが配られました。
その中に、学習後、休憩時間に支援級に遊びに行って一緒に遊んだ子がいた、学んだ事をすぐ行動に移せて素晴らしいと書いてありました。
しかしそれは学習の成果でしょうか。
学習前は支援級に来て遊ぶ子はいなかったのでしょうか。
私が聞いている限りでは
普段でも娘と仲の良い子は支援級に来て遊んでいますし、
障害の有無に関わらず、
気の合う子が一緒に遊ぶのは普通の事だと捉えていました。
しかし、障害者と健常者が一緒に遊ぶという事を素晴らしいものと特別視する事で
学習したから障害者と遊んであげた、素晴らしい!という…
なんというか…障害者を健常者の感動のために使う感動ポルノのような…違和感があったのです。
このような違和感は先生の発言でも度々あって。
3年から支援級になったのですが
交流級の子たちと仲良くできて素晴らしい、馴染めて素晴らしいと褒められたり。
田舎なので、多数が保育園からずっと一緒に過ごして来た子たちです。
そりゃあそこそこ馴染めます。
仲の良い子と普通に遊ぶだけで支援級になった途端、
「仲良く遊べて凄いね!」と言われても…と思ってしまいます。
特別視される事で障害者と健常者で壁がある事に気づかされ、気づいた事で壁が出来る感じがします。
学習の成果を多数の保護者に示す表現として
学習後、一緒に遊んだ、素晴らしい!というのは分かりやすいかもしれません。
ただ、私はもやもやしてしまいました。
気にしすぎかもしれませんが。
以上、独り言でした。
お読み下さりありがとうございます。
(この違和感を学校に伝えるかどうか思案中です。)
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この質問への回答13件
例えばユニ子さんの娘さんが健常児だったら、お便りのことには何の違和感も持たなかったかもしれません。 当事者の親だからこそ感じるモヤモヤですよね。 でもそれを健常者側に察して考えろというのは、難しいことだと思います。 先生の目線は完全に健常者側だけど、障がい者側に立ったことがないので、そこまで想像できなかったのだと思います。 娘さんと遊ぶために友達が支援級に来てくれたことは、娘さん自身にコミュニケーション力があるという証拠なので、それは素晴らしいと思いますよ。
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