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自分が人に助けられているのだから、自分も他人が困っていたら助けたいと自然と思うことは、自閉症の娘には無理なのでしょうか。
娘(12歳)が携帯ゲーム機を遊びに行った公園で無くしてしまい、公園に車で戻り家族で探して、やっとゲーム機が見つかった時にした会話です。
「助けてもらったことはわかるけど、感謝もしてるけど、だからと言って自分が困った人を助ける気にはならない。メリットがないなら助けない。」と彼女は言います。
そこ
でも、「探してもらったことで借りができたから、その借りを返すために、困っていたら一回探してくれた人のものを探してあげる必要がある」という説明には、すんなり納得しました。
彼女に「人を助けたい」という感情は無いようです。これはそういう子だということで、受け入れて育てていくしか無いのでしょうか?
こういうことを彼女から聞くと、わたしの心がとても疲れて悲しい気分になるのですが、娘も、母親の望む娘になれないことでとても悲しくて寂しくて悩んでいるようです。
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この質問への回答17件
退会済みさん
2017/07/11 06:48
みょみょさん こんにちは 自閉症に限らず、困った人を助けようという気にならない人、たくさんいますよ 社会全体でみたら、そちらの方が優勢かもしれない。 助けてもらいたいという気持ちはみんな強いのにね。 みょみょさんは、きっと、優しい、思いやりの深い人なんですね。 きっと、誰かを助けてあげたい、支えてあげたいという気持ちが強いのだと思います。 だから、娘さんの言ったことが残念なんですね、きっと。 みょみょさんが、やさしさや思いやりや助け合いで人とつながるように 娘さんは、「助けられたら借りは返す」と 娘さんなりの相手への思いを大事にしようと決めているようです。 これも言い換えれば、「助けられたら助ける」 ただ、みょみょさんの考えは、相手が不特定多数だけれど 娘さんは特定のだれかとのことを考えている。 自閉症ですから、特定の誰かに助けられ、感じた恩義を返そうと思う気持ちを そのまま、社会全般に見知らぬ「困った人」に当てはめることは苦手かもしれない。 でも気持ちの芽は育ちつつあると思います。 まずは、人に助けられる、思いやりを受け止める そういう経験を娘さんが多く積むことで、 「あの人は今困っているかもしれない。こういうときにはこうやって助けてあげれば良いはず」 と考える力が伸びるでしょう。 みょみょさんは思いやりや助け合いを感じることができる。 娘さんは経験から、困っている人への共感や助ける方法を学び、そして実践できるようになる。 それだけの違いです。 みょみょさんのようなお母さんの身近で、お手本にできて、娘さんはついてます
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