リタリコに力を貰っています。
ふと疑問なのですが、知的に障害の無い子は障害者手帳が出ないのですよね?
なのに何故?障害者として学校では扱われるのでしょうか?
右向け右と聞けない子、人の目を見るのが苦手な子、癇癪や拘りのある子など私たち世代には当たり前のようにクラスにいましたし、それでも差別することなく過ごしていました。
現代は少子化の影響、インターネット、医学の発達から少しでも育てにくい子は疎外されて、良いところを伸ばそうにも下手すれば教育すらまともに受けられないこともある。
私の住む地域(市)の公立小、中での不登校率に私は驚きました。小学校は6%、中学では20%を超えています。
これは発達障害だけではなく、環境や大人が深く関わった結果なのではと思ってしまいました。
もっとおおらかな時代に子育てをしたかった。
こんなに少しのことでも敏感にならずに、笑顔で子育てをしたかった。
ここの相談に「虐められないか?」と言う相談を多く見かけます。
確かに近年の虐めは度を超えています。
親としては子どもが虐められてる姿を見たくないですよね。私も同じです。
けれどいつでも優等生、リーダー、人気者では定型発達の子でも有り得ません。
発達障害は治りません。診断は出ても療育すら受けさせてもらえない(私の地域は知的を含まないと療育は不可)場合は、診断名だけのレッテルを貼られて生きていく。
そして我が子が?と悩み苦しんでいる姿を見た他人は発達障害をビジネスや雇用に繋げていく。
子供たちの可能性と個性を伸ばせる世の中になりますように。
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この質問への回答10件
私も疑問に感じています。知的障害を伴わない場合は発達障害と言いながら、障害者手帳や支援級から除外されます。また支援級基準に満たず入れないのに、普通級の一部の保護者からも阻害。もちろんですが、支援学校にも入れず普通級では扱いに困る子となっています。こればかりは、ある程度支援の仕方が分かっていないと難しいと思います。私の地域でも知的障害がないと療育不可です。しかも教育委員会出身の市長なのに、結局IQが標準なら支援はしない方向性。IQでは測れない事すら学校側も分かっていません。数値平均が標準なのでと言われました。
知的障害を伴わない自閉症スペクトラムの息子がいます。学校側にはずっと発達検査の結果や特性を伝えてきましたが、わざわざ他の子と考え方が違っておかしいと私の目の前で息子に話したりするような担任を付けたりです。今年度担任は変わりましたが、結局皆受け持ちたくなくてなすり付け、新しく赴任した先生に押し付けた感があります。本来なら1年からの事情を把握した先生が一番良いと思います。
本当におおらかな時代で分け隔てなく、一緒に支え合い過ごせた時代に子育てしたかったです。
幼稚園世代は、人の話をあんまりよく聞けないし、聞いても理解力ないし、字は読めないし、なのに無駄に動き回る元気はある、ということで、一番大変な時期かなあと思いました。もうちょっと小さければ「担ぎあげて運ばれてよし」みたいな作戦も取れますが、なにしろ抱っこするには大きくて、ですから。
診断されると、傾向がわかるんですよ。この辺が得意で、この辺が不得意で、こういう言い回しがわかりやすいとか、こういう支援がよいとか。それを、自分の子供向けに親がアレンジします。子供の特性の具合が千差万別なので、支援のプロといっても、なかなかピンポイントで「これだ!」とは言えないし、それだけの経験を積むのは難しい。子供を始終世話してる親が、子供の行動を分析して、支援の方法を作り上げていく訳です。それから、特性を持っている子は、言い回しやアプローチがちょっと違う。違うんだけど、これはどの子にも有効なわかりやすい方法です。言い回しやアプローチのやり方を、本やネットや、支援(自治体の相談窓口など)から教えてもらえる訳です。
その為に診断があるわけで、「この子は発達障害だからあっち行って~」のために使うわけじゃないですよ。
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初めまして。
仰ることわかります。
でも、今は良い面もたくさんあると思うのです。
例えば支援体制が整っていること。
私の時代にはスクールカウンセラーはいませんでした。
担任とトラブルが起きても、仲立ちに入ってくれたり相談できる体制が整っていませんでした。
今はりたりこの様な場もあり、困ったときの情報も収集しやすいと思うのです。
確かに昔はクラスに当たり前に「そういう子供」がいたかもしれませんが、「そういう子供」は担任からもスルーされていました。
だからその子の困り感は、適切な支援を受けられないまま放置されていました。
ただのわがままな子、できない子ということで処理されて結果、二次障害に苦しむ大人になったかもしれません。
今は、居場所のない子にはフリースクールなどの選択があります。
大人もネットで情報を集めたり、同じような経験を持つ方のお話もきけます。
どうしても給食が食べれなければ、配慮をお願いすることもできます。
ただ、勿論それらのフォロー体制が整ってることが、即個々人の求める適切な支援と繋がってるかというと…残念ながら現実にはまだまだ問題が大いにありますね。
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退会済みさん
2017/05/16 22:32
いおんさんの、疑問に思われるお気持ちは、良くわかります。私も、そう思う時がありますから。
>右向け右と聞けない子、人の目を見るのが苦手な子、癇癪や拘りのある子など私たち世代には当たり前のようにクラスにいましたし、それでも差別することなく過ごしていました。
これは、昭和の時代だからこそ。そういられたんじゃないかと、思います。
今は、周囲の子供たちも、大人たちも、発達障害。という言葉に、とても敏感になっていて、グレーだろうが、知的だろうが、自分と、少しでも違うようなところがあれば、みんなが反応する。
もともと、みんな同じとか、みんな一緒という、概念の意識が強い日本人ですから、一人。目立っているお子さんがいると、気になってしまうのでしょう。
昔と比べると、今の時代のほうが、きっと。そういう意味でも、生きづらい世の中です。
いおんさんの、仰るように、私たちが、子供だったころは、確かにそうでしたよね。
中学生の頃は、休み時間になると、支援級に行って、そこにいる子たちに、普通に話しかけていました。
子供たちの行き来も、今ほど制限がなかったし、子供たち同士も、何となく受け入れた感は、ありましたね。
療育については、知的がないと受けられないのは、日本全国どこも、似たりよったりではないかなあ。
よほどの、日常生活について。困り感など、困難が強い場合には、受けられる自治体もあるようですが、日本の場合は、そのようです。
>断は出ても療育すら受けさせてもらえない(私の地域は知的を含まないと療育は不可)場合は、診断名だけのレッテルを貼られて生きていく。
そして我が子が?と悩み苦しんでいる姿を見た他人は発達障害をビジネスや雇用に繋げていく。
これは、そんなことはないと個人的には、思います。レッテルではなくて、診断を受けて、今まで、何が出来て、何が出来なくて困っていたのか。診断を受けて、判りましたよね?
それって、障害を抱える当事者にとって、とても意味のあることだと思いますよ。療育は受けられなくても、対処方法が、判ったのですから。本人も、家族にとっても。
判らなくて(障害名が。)苦しんでいる子や、成人の方は、沢山いらっしゃいます。
私は、そういう方たちが、少しでも、安心して。暮らせる社会に、なってほしいなと、心より思います。
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満月さま
学校教育法で発達障害支援に関する定義はここ数年のことだと本で読みました。
確かに何も無い私たちの時代よりも支援はある方だとは思いますが、あまりに世の中が敏感になり、更には発達障害という言葉だけが一人歩きしていると感じています。
グレーゾーンや知的に遅れのない子供たちは個性?障害?
学校を卒業したら障害者として生きません。
ならば言葉を個性にすればもう少し寛容に子育て出来るのではないか?と思いました。
私の友人の子がアスペルガーです。
特に数学に関しては群を抜いています。
ですが、小中と公立に通っていたので特別支援に在籍し、得意な数学(算数)を活かすことを学校側に拒まれました。それよりも協調性や生活面を優先した授業内容でした。勉強に遅れがない子も知的に障害のある子に合わせた授業内容でした。
両親はこのままでは可能性を摘んでしまうと、塾へ通わせ、今は都内有数の進学校へ入学し、充実した生活を送っています。
過度の発達障害に捕らわれると子供の未来を大人が摘んでしまう可能性も多くあるな、と。個人的に思っています。
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うまく言えないのですが…。
もともと、発達障がいとは現代社会が作った障がいと言われていることはご存知ですか?
机に座り、座学中心になった社会が求めるものは、「みんなと同じことを座ってする」ことなのかもしれません。
昔の日本にも、協調性などを重んじるところがあったとは思いますが、今のように学歴を良しとする時代ではなかったのかもしれませんし、みんなが生きるために…食べるものを手に入れるために無我夢中で生活する…そんな戦後の名残があったのかもしれませんね。
そんな中でも虐めはありました。
しかし、もっと目に見える虐めだったと言われています。
また、親世代は、生きるために必死で、子どものそういった問題に目を向ける時間が今ほどはなかったのかもしれません。
物質的に恵まれた現代では、衣食住を心配する必要はほとんどありません。
そういった状況のなかで、私たちが求めるものは、もっと高次の「人に認められたい」とか「人の役に立ちたい」とか「なりたい自分になりたい」というような欲求なのかもしれません。
でも、そのような高次の欲求を満たすことに対する支援の手を国や自治体単位で差し伸べるには限界があるということだと、私は理解しています。
知的障がいではなくとも、身体障がいにおいてもこれは同様で、ある程度の生活の質が確保されている方に対する福祉援助はほぼ無いと思います。
つまり、生活の質を保証したあとは、個人的な努力が必要になるということなのではないでしょうか。
ここで問題になるのが、いおんさんのおっしゃっている「診断名の独り歩き」なのではないかと私は思っています。
確かに、診断を受けることを良しとする風潮があり、また診断がついたからどうするという策もないままに差別などを受けることがあるならば、診断名は適切に使われていないと言わざるを得ないのではないかと感じます。
私個人としては、適切な療育や教育、育児を受けるために診断名は使われるべきで、子育てや教育には診断時に用いた発達検査の結果を利用すべきだと感じています。
また、グレーと言われる我が子は、診断名があるなし関係なく、可愛く愛おしいです。
診断名を使うにしても、個性と表現するするにしても、子どもとの良い関係を築くために使いやすい方を使えば良いのではないでしょうか。
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